空想四方山日記

日々の出来事に関する社会科学・倫理科学的観点から人道・道徳的社会の機微を記述する。

人間の思索・思考・精神作用における言語の果たす役割、及び「犯罪行為」の指摘

先程、以前からパソコンに打ち込んでいる種々雑多な 文章の中で、資本主義経済社会における近代科学に加わる事が出来た有色人種として、日本人を挙げていたが、どうも、日本よりも、10年か20年早くインドにおいて物理学でなし遂げていたようである。その事に就いて、インドは母国語というか、共通言語が英語であるが、イギリスから直接影響を受けているのは、明らかであり、それに反して、日本は、英語等と言語体系が全く異なる日本語で科学学術活動が為されているという事である。それから,以前から、筆者が思ってたことは、創造性というか、科学技術等の知的精神活動は、母国語でなされる事が、ある程度影響を与えるのではないかという事である。それらの考えの源泉は、新興国というか、発展途上国は、高等教育は、大抵、母国語で行える環境になく、英語とかの外国語でおこなわざるを得ないという事である。

まー、上述したことは、若い時から、つらつら、思ってたことの一部の事であるが、世間にとっては、何の事でもない。

今日、アマゾンから宅配が届いた。中身は、幸田浩子の「優歌」と田中彩子の「クラシックの何曲かの歌曲」どちらもソプラノとCDに記しているが、全く異なる印象である。あと、本が、一冊はいっていた。

昨日から、ドメインの登録をしなければならないという連絡が来て、全く、自慢ではないが、不得手のド素人だから、ドメインを何で登録しなければいけないからそこから、何故と思って、先ほど、何とか、ドメインのプロテクションの登録迄終わったから、いいのかなと思ってるのだが。ほんと、20~30年ほど前に、後輩の(後輩と言っても、米谷君と増田君は俺なんかをしがにもかけなかったろうが。) 研究員が、インターネットの建物ごとの配線から設定まで行っていたから、今、自分でやらなければならないとしたら、とてもできないなーと。当時の彼らは、すごかったんだなーと思うだけである。彼らは、応用化学というか、化学工学の専攻だから何処で、どの様にして、それだけの情報・通信の知識・技術を身に着けたんだろうと不思議に思ってただけであるが。そういえば、筑波のスパコンに繋がってる、研究室の端末パソコンをいとも簡単に操作するのも、俺なんかには、彼らからこのボードの何々を押して、その次に、何々を入力して、と教えられた通りに、ノートに手順を記述したとおりにやっても作動かなくて、彼らの居室に、質問、聞きに行くと、さも迷惑そうにこうこうこう云う風にすればいいなどとマー、一応教えてくれてたけど、俺には、出来なかっただけである。そんな風であるから、システムエンジニアが前職で、余りに仕事がきつくて、徹夜なんか当たり前なので、仕事をやめて、研究所の派遣というか、非常勤の職員になられている女性もいたりするから、すぐに、聞きに行くと彼女ら専門の人にとっては、バカバカらしいものであろうから、そんな丁寧に教えたくもないのだろうが、一応、やってきて、俺が操作すると、わずわらしいのか、見てもいられないのか、チョット、どいてとか言って、彼女が操作してしまって、俺のパソコン・IT技術は一向に向上しないのである。まー、総じて、パソコン操作などが得意な女の娘も研究所には珍しくも無かったので、親切に教えてくれたように思う。前記の、専門のSE経験者と東北大金研でドクターを取って、ポスドクで、東北工業研究所で研究を行っていた韓国から東北大への留学からの女性研究者は、彼女も迷惑がらずに教えてくれたが、今、考えると韓国とのなにか、色々関係する事があったのかなー、それでかなー、思ったものである。というのは、何か知らないが彼女の腐食の専門書、勿論、英語の洋書がここの家の本棚にまであったからである。まー、俺の悪い癖で、聞いたり、教えてもらってできるなら、それで済まそうという浅はかな考えの研究態度で進める邪道的何事もの進め方の方針の考えを持ってたので、そのつけが何時までも付いてきて、誰もサポートしてくれる人がいなくなると困るだけなのである。自業自得である。でも、通常、勤務先においては、仕事の進めるにおいて、色々、討論するとか・議論するとか、こういうのはどうするんだろうとかのお互いの意見交流とかはするのが、普通であると思うのだが、俺の場合は、東大の駒場の最初の講義を受けた場合の日本を代表する大数学者からの「いやがらせ」を記したように、その様な研究を進める研究所に於いての扱いというか、対応、応対は、ずっと、記述しているように、TVとか、社会とかのどうのこうの云ってるのと、全く同じであろうと思うだけである。

甲子園の高校野球テレビ朝日の中継放送で、桐谷美鈴さんが「女の子だって、甲子園」と言って、桐谷花鈴のマウンドとかCMで言ってたので、女の娘について、思ってたことと、合致するのかな、合うのかなと思って、アマゾンに新書で発注したら今日届いていた。何か、今迄の、俺の環境というか、応対された事などから、女の娘も、子供手当や、奨学金や、BI(ベーシックインカム)などの手当てを、どの女の娘にも与える制度・示事をしてもらって、最低限の衣食住を保証することで、種々、色々な性的など女性と云うだけの不利益を受けなくても、その先は各々の個人の進みたい方向にどの女の娘も進めばいいのでは、そうすれば、何か理不尽な苦労をしなくても済むのではと思っていたから、何とか「甲子園」で、それが出来れば、いいのではと思っていただけである。それは、何も、女の娘に限らず、男の子でも同じであろうが、俺なんかのいう事でもないのだが。どうなんだろうか、何かどの様にすれば、恵まれた女の娘だけでなく、すべての男の子・女の娘が各々の意に反した仕事などをしなくても済む事が出来るのだろうか?

俺などが、いう事でもないのだが。ただ、最低限の衣食住が保証されるだけで、志のある子は先々に進む事が出来るであろうし、現在の、貧困家庭層の子供等にとって、衣食住が保証されてるだけでも安心なのではなかろうかという事ですが。

まー。劣等生のくりごとである。何のことでもない。

最後に、森麻季さんの「アベ・マリア」(女の娘・女性の事ついて思った大学生時代の「小さな日記」と共にその歌詞から考えさせられた曲である。) とデビュ―CD「あなたがそばにいたら」の、これまた、ソプラノのうたごえをながしている。