空想四方山日記

日々の出来事に関する社会科学・倫理科学的観点から人道・道徳的社会の機微を記述する。

托鉢僧・物書き・河原乞食・白拍子・歌舞音曲・霊媒師・神事祭礼統治ーー生物としての人間の生存に最低限必要不可欠な生産物を創らない人としての矜持

自分は、「農作物を収穫できる田畑」を有してはいないし、所有できる環境にもなかった。「漁業」に携われる技量も手段・道具も有してはいない。さりとて、何らかの生活用品物・衣服・家事用具・居住所建築等々の所謂「職人さん的技術」を有してもいない。即ち、生き物としての生活手段をゆうしてもいないし、創り出すことも出来ない、通常の生物・動物であれば生きながらえる事すら危ぶまれる人種であろう。それで、表題の等々の職業というか、従事している人々について思う事があるのである。何も、それらについている人々のこと自体をどうのこうの言おうとしているのではない。逆に、自分自身の事を思い、考えているのである。

  昨日、「E-Girls]」とか「ももいろクローバー」のDVDを見ていた。表題の、「歌舞音曲」に所属するのだろうが、まだしも、俺なんか、何もできないのだが、彼女らは、「歌舞音曲」での技量を公の前で披露できるのであって、即ち、その腕前の披露により生活に必要な物品と交換できるという余地・望みがあるのだから、俺が、社会から遮断されていた、何か働く・労働しようにも、排除・排斥・差別(学生時代の事柄は一部記述してある。)の中で、技量の向上も出来なかったのに比べれば、まだしも、ずっとよい方であろう。

  先日、さくらももこさんの事が、報じられていた。実は、田舎の山形に実家で姪の知智ちゃんと佳代子が小学・中学か高校生の頃に、姉妹そろって(姉の方が5~6歳年上である。その間の出産が流産で間が開いた。)何かの集まりや、親戚の寄り合いなどの席で、度々歌っていたものである。俺なんか、何回聴いたのだろう。その歌詞で「エジソンは、偉い人、そんなの常識~」というのに来ると、またまた、このご姪御さんのお二人は、元気一杯に,声を張り上げるのである。その、姉の方の知智ちゃんは、山形大から、男兄弟がいないといってのおやの兄夫婦を思って、地元に就職しなければと担当の教授に頼み込んで、企業など数少ない山形で職を得た。その知智ちゃんも、もう,

50歳になろうとしているのだから、年月の巡るのは早いものである。佳代子は千葉大に行ったが、卒業したとの連絡後、全く俺の処には音信不通になっている。兄夫婦や姉の知智に尋ねても知らせてはくれなかった。まー、それはどうでもいいが、兎に角、「エジソンは偉い人、そんなの常識~、タッタ、タラタラ、ピーヒャラ、ピーヒャラ、お腹がすいたよ!」の歌詞だけであるが。

  表題のうち、「歌舞音曲」の事に就いて、若干、思っていることを記述したが、お若いお嬢さんがたは、自分自身を大事にして、自由に、人生を大切に生きてってほしいと思う。もう70才も近い老齢の何も思ってたことも出来なかった人生を送らされた人間からの想いである。