空想四方山日記

日々の出来事に関する社会科学・倫理科学的観点から人道・道徳的社会の機微を記述する。

尊敬する反権力主義者山本義隆氏への個人的憧れ・尊敬・嫉妬・失望(全く迷惑であろうが山本氏への憧憬などアイドルのファンのと同じである(以前、高校の時、数学者・岡潔のファンだったことも述べた))

前回のブログの叙述で、山本義隆氏の著作「近代日本150年」科学技術総力戦体制の破綻 (黒船から福島まで): 本の帯の文言[岩波新書 創刊 80th ; 日本には、新書がある。]

黒船(1853年;ペリー率いる軍艦);福島(当然、福島原発事故の1F原子力発電で、米国からの導入) 資本主義経済社会の論説で、当然、アメリカの資本の日本占領・支配の事は、一番最後に、述べようとは思っていただけであるが、山本氏の著書の帯の文がそれを表しているのではと想い、冒頭に記述したまでである。「国家の品格」の項で同様に述べようと思ってたが、マスコミ、マスメディア・特にTVなどの電波放送の同様なアメリカによる占領・支配が為されていることも、記述せねばと思ってただけである。そこで、何時も山本氏の著作で思ってたことは、そのことを、述べてないのである。少なくとも、表に出して記述しないのである。それが、表題の山本氏への失望と記したもので、でも、社会的に、名が表に出ている(例え、思想犯として刑務所に拘束された体験があるとしても) 身では、俺なんかの、山形の山奥の田舎出で劣等生・何の取柄も持たぬものとは違うのであろうと思ってただけである。(俺なんか、例え、表に出しても、何にもならないだけだろう)  俺みたいな、何の考えも取り立てて無い人間でも、之だけは、確実に思う事は、山本氏の年代(多分、俺が大学に入った頃に、大学院の博士2~3年だったろうから、俺より、8~9歳年長の筈である。という事は、現在、77~78才位か、因みに、俺が修士の時に就いた菊田先生は、10歳上だったから、物理学科の学部の時、1学年か2学年の違いである。師事した菊田さんに面識があったのかどうか尋ねてみようかとも思ったが、躊躇した。なお、この時代の理学部物理学科の定員は、8~10名位で、真の本当の秀才の集まりである。俺らの時には、定員が50~60に増員されたのだから較べるまでもない。) の人々の中には、その様な、日本の国家状況(第二次世界大戦からの敗戦・占領・軍事同盟・資本の支配・文化の影響)に愁いを持ってた心底から社会を考えてた人々がいた筈ではないかと思っていて、その代表・象徴として山本氏を挙げていただけであり、このような愚文に取り上げさせてもらっておるわけであるが、山本氏には当方の勝手な思い・考えなど知る由もないわけで、そんなの迷惑千万であるに違いない。そこは、立派な人格の名の知られた人物の有名税として許してもらいたい。なお、山本氏の著作は、最初、「知性の反乱」多分、全共闘の主義主張と思い、読んでいない。その当時に、ニールス・ボーアの論文の翻訳で「ニールス・ボーア論文集」というのを出していたと思う。アインシュタインの、翻訳をして論文集を出すのなら、まだ、一般の人々の読者もつくだろうから理解できるが、(実際、アインシュタインの翻訳は、昔は、石原純の物から、結構、現在まで相対性理論の論文そのままの翻訳迄出版されている。) 前期量子論などは、教科書に必ずでているから、一応、専門の学生以上にとって、必ずしも翻訳本が必要でもないと思ってたのであるが、そのテーマ・内容が、必ずしも一般の人々の興味を引く事でもない。後の、量子力学のボーアによる「コペンハーゲン解釈」でも、物理の学生にとっては、必要不可欠であろうが、一般の人々にとっては、何のこっちゃというものであろう? まー、刑務所明けの、30歳前半からの、手始めに、専門の数式を用いない科学哲学・技術論などに入る手始め、手慣らしであろうと思っていたのだが。その後、何か、翻訳本が10冊近く、著作が30冊近く出版しておられる。予備校で教えておられながら、之だけの著作を出されるのは、やはり、例え、東大に出入りが出来ぬとはいえ、俺が知っているのは、明治大学の物理の教官をしている親友が研究室・図書館などでの資料の検索・収集に協力しているようであり、又、学習院に江沢という若手に場の量子論の研究会を開いている大御所も多分山本に手を差し伸べていたのだろうと思っていたのだが。まー、これらが憧れ・尊敬・嫉妬の感情を俺に植え付けていただけである。当方の心の狭小さをさらけ出しただけである。

まだまだ、記述する事があるのだが、もう、疲れてきたので、今日は、ここまで。