空想四方山日記

日々の出来事に関する社会科学・倫理科学的観点から人道・道徳的社会の機微を記述する。

今日は、午前中から、ベッドの上で眠くなっちゃって、全く、生活習慣とか、毎日の寝起きの時間が定まらず、どうしようかと毎日、おたおたしている。どうも、夜中に眠ると云う事にはならないようで、さりとて、昼の何時から何時に睡眠すると云う事も定まらず、とりあえず、日常の生活時間が定まらまいと毎日の生活がうまく回らない。とにかく、「厚志君」と俺と「美子君」の三人で、穏やかに生活のサイクルが回るようにしないととだけ思ってるのだが。とにかく、この世は、ままならない。

今朝の、BSTVで、大谷先生(東北大の有名な三兄弟教授(末の大谷南海男先生は、名工大の教授だったな。)) のお嬢さんの番組「音楽交差点」の番組に「はいだしょうこさん」(歌のお姉さんで以前出ていた方)が出演なさっていて、宝塚の出身だそうで、その宝塚音楽学校からの理不尽さ、一年学年が違えば、先輩、後輩の絶対服従関係とか、なんか、今頃、最近、問題に成ってるスポーツと全く同じであると、俺は、断じただけであるが。これは、何も、宝塚やスポーツだけでなく、日本社会全体に共通する、理不尽な非人道的・非民主的・差別的社会を表しているだけであると思っているが。はいだしょうこさんの、音楽学校の時からその変な規則というか、慣習は、学校の校則も似たようなものであろうと思ってるが、何とかというフリーのジャーナリストの人が、女子高生の校則の理不尽さ、僕から言わせると、バカバカしさ、学校の先生等は、男教師に限らず、女教師も含めて、そんな、校則で人格教育が出来るとでも思ってるのかいと思うだけである。それが、TVとかの放送とか、マスメディアにもあるのではと、日本社会全体にあるのではと、言ってるのだが、こちとら、何か、たった個人で社会全部からどうのこうのされてる60何年間かは、もしかして、犯罪を社会はやってるのではないのかと思ってるだけで、何の他意も無い。

   で、話を続けると、その大谷先生のバイオリニストのお嬢さんの番組中に、つらつら、思ってたことの、テーマというか、どうやって進めようか、文献・資料などはどうやって集めようか、参照しようか、こういう事は、俺の場合、学生のとこからの悩みで、まー、社会から排除されてるのかなんか知らないが、まゝならぬ、研究環境というか、研究という研究でもないが、この場合も、社会の犯罪と云ってるのだ、如何なんだろう。その、思ってたことは、母国語で高等教育を受ける事が出来て、研究というか、創造的・オリジナリティな事を思考・思索・考察する場合に於いてと、高等教育が外国語で受けざるを得ない環境で、研究の基礎・土台である知識体系が母国語でなく外国語である他国語の場合とでは如何なる差異・違い・相違があるのであろうかという事である。近代科学は、ヨーロッパ等の西欧諸国で起こり、中国の漢字の移入が元々の起源である日本語とヨーロッパ等のアルファベット文字であるのと言語体系の異なる日本では、専門用語等を、外国語から、日本語に当てはめ・造語して日本語だけで各分野の高等教育・大学教育を受ける事の出来る、稀な、もしかして、唯一の国、民族かもしれないと思っていたことが、この題目・テーマの思い付きの出発点である。大抵の、開発途上国後進国では、高等教育・大学教育は、外国語(英語、仏語、独語)で行われているものである。明治維新という中国由来の文明から西欧文明・近代科学へ国の基本を乗り換えるという大転換に於いて、筆者が思うに、その時代の日本の先人たちの一番の方針・功績・労苦・業績・評価される点は、外国語の学問的用語をすべて、日本語に置き換えて、日本語だけでその近代科学の分野をある程度勉学する、習得できるようにしたことではないかと思うのである。そのことで、日本人の大部分の人々(それ程の学歴がなくとも)が西欧近代科学とそれに付随する音楽・芸術等への接近・取っ掛かりが容易になり、後の世代の日本人が西欧近代文明を身に着け、さらに独自に発展させる事が出来たのではないのかという事である。(筆者の単なる推定・推測であるが)

  で、その違い・相違・差異を今現在、発展しつつある、脳科学の学問分野で考察しようと思うと、文献・資料の検索・取り掛かり・収集をどのようにしようかといつも思うのである。

今は、パソコンでの検索で一次資料の論文などにたどりつけるのだろうが、パソコンもいつも、何かしら、トラブルが起きて、ほーたらしにしておくことも多いのであるだけである。このような事は、筆者の場合、学生の頃から、日常茶飯事の事でどういう事なのかといつも思う事であるが。さて、上記の課題・テーマに関して、次の二点の項目が関係することで、先ず、調べなければ、即ち、文献検索・調査を行わねばならぬ。

1。人類が如何なる進化過程を遂げて、どの様な経緯で言語の能力を獲得する事・身に着ける事が出来るようになったのか?

2.人間の赤ちゃんが、その成長過程で、どの様にして言語・お喋りできるようになるのか・話す言葉を理解できるようになるのか、お母さんなどの周囲の環境条件などに依存するのか?などというのは、今、研究が進んでいるのは確かだろうが。

上記の、1.2.の事が前述した研究の母国語と外国語である他国語での思索・思考・考察での脳科学的解明の出発点になるのではと思ってるだけであるが、どの様に進めようか、社会の排斥・妨害のようなのは、学生時代からもう、40~50年もつづいているからなー、社会の人々に尋ねてみよう?今迄、駄目だったんだから、どうなんだろうなー?などと、思い煩ってる、今日この頃であるのだが?