空想四方山日記

日々の出来事に関する社会科学・倫理科学的観点から人道・道徳的社会の機微を記述する。

女の娘のスポーツ・アイドル・タレント等々の女性指導者の必要性について

近年、強豪高校の部活動での指導者の暴力的指導の不祥事や大学のスポーツ活動での学生選手に対する大学当局や指導者・監督・コーチ等々の一方的な強制的な指導から来る問題が報じられている。男子のスポーツ活動の指導者は大抵の処、男性の教師や監督・コーチなどで同性の年長者であろうが、(それで、年長者の受けた昔の以前の社会風潮を引きずる事は当然の事として考えられる。根性とか精神主義とか日本の社会の根底にある風潮である。) 女の子の場合は、もし、男性の指導者であるならば、事情は、もっと複雑に成るやもしれぬ。そこで、小生は、当然、女性指導者がどの段階でも女の娘の場合は必要であろうと思っているのである。日本の場合は、学校とか、家庭においても、公共の場に於いて、性教育というか、女の子にきちんとした性科学に基づいた保健教育が為されておらず、社会に流通している情報とか、年長者から、昔ながらの男性優位中心の一方的な言葉を投げかけられているやもしれぬ。近年の各分野で社会で取り上げられる女の娘は、年若く、10代の子は普通で訓練というか、そのスポーツに取り組む年齢も幼い時からで、10歳前後には、もういっぱしのプロ並みの練習というか取り組みをしているのがTV等の放送で報じられている。女の子の10歳前後からは、初潮というか、女の子の体の変化は当然幼子から少女・娘・女性と20歳過ぎの年齢になる10年位の年月で起こる訳で、しかも、その年代にピッタシ女の子の活躍・活動の時期が重なることを考えれば、性科学に基づいた彼女らの体の学習・理解と精神的安定の支えがその分野の技術・スキルの習得と共に重要であるのは当然のことである。その点、男性指導者が資格として充分満足できる女の子への思いやり・理解をできるであろうか?まだしも、女性指導者の方が、その年代を自身が経過していることから、チョット、そのことに考えを深めれば、理解できるのではなかろうかという事である。勿論、女性指導者であるからと言って、それだけで女の娘の指導者に向いているという事は言えぬが、プロスポーツの監督で女性なのは、チョット思い浮かべただけであるが、新体操の山崎浩子、バレーボールの中田、女子サッカーの鎌倉、ソフトボールの二代続いた監督ぐらいであろう。男性監督で女子レスリングなど種々問題が起こっているのは、どの様な原因なのであろうか?スポーツ競技に要求される団結・忍耐・努力等々が、逆にえてして、一方的な受動的態度・忠誠・服従の要素を植え付けることになるやもしれぬと心配するのである。ついでに、日本の職場でスポーツクラブ・部活動経験者が優遇されるという以前の社会状況は昔・以前の社会であったなら通用したであろうが今後はそのような社会環境ではなかろうという事は誰が考えても明らかである。すべての段階に於いて、スポーツに限らず、アイドルらの歌唱・ダンス振付・TV出演等においても、女性のチューター・メンター等が社会の指導を行った方が、何か、TVやマスコミの状況から慮って道徳性を持った社会人になられるのではと思うのであるが。口幅ったいことを言って申し訳ない。何も俺自身がそのような事を言える人間ではないと思うので、「何だ、お前」と言われても何の反論も無いのであるが。