空想四方山日記

日々の出来事に関する社会科学・倫理科学的観点から人道・道徳的社会の機微を記述する。

訂正(立命館を関西学院大・関学へ)、保健センターでの健康診断で思う事、山本義隆氏の著作について

最初に、前回及び前々回の此の欄の記述で、大学スポーツの選手に関する事で、立命館の大学の名を挙げて非難をしたのは、立命館ではなく、関西学院大学の間違いでありました。お詫びして、訂正し、立命館の大学には、深くお詫び申し上げます。改めて、関西学院大学の説明・見解を求めます。どの様な大学教育を行っているのでしょうか。何か、ミッション系で、キリスト教の教えに基づき、全人格的教育を行っているという番組に出られてた大学職員の方の弁ですが、あの、関西学院大学のアメフト部の学生の態度・振る舞いのどこが全人格教育を行ってるといえるですか?改めて、説明を求めます。社会の中で存在する大学であるならば当然、何故、どの様にしてあのような振る舞いをする学生を退学もさせないで、堂々と公の公共電波に出させる事が出来るのか、当然の事ながら、大学当局の責任があろうかと思いますが?同様の事は、今迄、60何年の間に、あった事を一つ一つ挙げてますので、どの様な理由で何故、その様な非人道的・非道徳的行動・応対を社会が行ったのか説明を求めているだけなのですが。

次に、昨日、川西市の保健センターにて健康診断を受けたのですが、相も変わらず、今迄と同様の態度・応対・振る舞いであられました。そのことも、改めて、何故なのか、説明を求めます。保健センターでのことで、ついでに、一言申し添えます。もう、人生で採血の経験は、幾度となくあるのですが、いつも思うのは、採血の時、腕の血管がそれ程浮き出てるでもないのに、採血をする看護婦さんが今迄、何回もやり直すというか、採血の注射針を何回もさしなおすとかいう事は無かったことである。やっぱり、餅屋は餅屋というか、お医者さんの卵が、なりたてで、各種の実習をやる時に、注射も打てないような、お医者さんの卵の方ばかりだそうで、その時、看護婦さんの失笑を買うそうであるという事を、学生の時か、20歳代の若い時に、耳に挟んだことがある。自分自身のことを振り返っても、大学のカリキュラムの実験演習で、週1回か2回、午後の時間いっぱいを使うとしても、色々な専門の技術の習得が出来るなんてとても考えられなかった。それと同じことであろうと、俺なんかは、すぐに理解できるのだが、世の中の人々は、お医者さんは、何というか、学があって偉いんだから、何でもできて、注射なんかも上手なんだろうと思うのかもしれないが、各々、仕事の中身が違うのであるから、注射なんかは、そりゃー、毎日、為さってる看護婦さんの方が腕はいいと思うのは小生だけなのであろうか?要は、そんなのは、職業人として当たり前のことで、人格的に、お互いの職責を敬いあって、お医者さんと看護婦さんとか理学療法士さんとか事務の方々とか、医療なんかでは、そいう方面ではあたり前の事であろう。なんかでは、そんなことは、医療というか、病院とかに限らず、どんな分野の職業でも当たり前のことであろう?で、そういう事が社会で当たり前ではないのかと思うので、ひるがえって、小生が受けた60何年間かの社会の境遇は、何なのかと問うているだけである。説明をする責任があるだろうと問うているだけである。ご返答を求める。

前回の記述で、大学に入学した時の大学当局・事務等々の対応を述べた。そして、僕自身は、入学手続きの時、一年分の授業料も収めたことも述べた。その翌年からは、授業料免除の手続きをしたことも述べた。授業料を納入しているのに、講義その他で排除の応対をする、授業を受けさせなくなろうにするのでは、詐欺ではないのか?大学はキチンと説明する責任はないのか?そんなの、誰が考えたって、当然のことであろう?説明を求める。

さて、保健センターでの後に、何時もの通り、紀伊国屋に寄ったが、相変わらず回りをウロチョロする輩がいたので、紀伊国屋の何か、中年のおっさん風の責任者らしき人にあーいうのは、何なんでしょうね?もう幼い頃から、あるんですがね?と、問うてみたが、なんの返答も無かった。そんなの、「犯罪でしょ」と、もー、前から言っているだけである。

合間、合間に、山本義隆氏の「近代日本150年」科学技術総力戦体制の破綻、という本をつらつら眺めていたが、多分、山本義隆氏は秀才なのであろう?だから、大学1~2年の頃から、専門の物理とか難しい数学とかにばかり興味があり、しかも出来る能力のある人だから、理解できたのであろう。著書の中の文章を見てみると、新幹線の事故とかその他の社会インフラの件などで、チョット文章が変なのではと思うところが見受けられる。で、少し、俺なりに考えて、上記の事から、秀才の物理屋さんだから、材料というか、もーずっと依然の、所謂、最先端でない分野からズレている材料、当然、社会の中では、至る所で、例えば、鉄鋼材料、鉄鋼と言っても、成分は,Feばかりでなく、謂わば、FeとCの合金であって、炭素の成分割合で種々の性質の鉄鋼が得られる、あと、熱処理などでも、種々性質の異なる鉄鋼材料が得られるなどというのは、先ほどの、看護婦さんの注射の技術と同じで、工場の現場の技術者、作業員にとって常識的な知識なのである。ところで、優秀な、物理とか理科系の人々は、兎角、先端的な基礎的な情報は豊富であるが、実際の現場に於いて用いられている技術の実態はあまりご存じでないのかもしれぬ。で、山本氏の著書の中の文章で、社会インフラの事故等の記述でチト、変だなーと思うところが見られたのである。そんな事を、何故、俺がわざわざ書くかというと、あっ、もしかして、劣等生で凡才の俺の出番なんか、無いなーと思っていたが、秀才の見落とす、或いは、少し不得手な、泥臭い現場の実際の作業の実態を含めれば何とかなるのでは、などと考えるのである。実際は、お目出たい俺なんかの、繰り言であるが。